雑記かけうどん

生産性のないことを考える

【覚書】「面白い」という感情

最近の脳内を、大雑把に整理する。

文章を練っていないので、読みにくい部分がほとんどだと思います。

 

あらゆる「面白い」という感情は、対象物への共感(対象物への理解)なしに得ることはできないのではないか。

 

「意味がある」ものに対する理解を前提とした「面白さ」は、その対象物を理解している一定のコミュニティ(範囲)にのみ作用する。

 

「意味がある」ものに面白さを見出すのは、ある意味必然ともいえる。

 

しかし、実際には「意味がない」ものに対する「笑い」は多く存在する。

そこでは、「意味がない」ことを認知する過程が必要となる(のではないか)。

 

不条理ギャクマンガの笑いは、そこに「意味がない」ことを知っていなければ起こり得ないのではないか。

漫才師、お笑い芸人の謎のセリフ、謎の文言はそれと同じことがいえるのではないか。

 

例えば、ボボボーボ・ボーボボの漫画を、大真面目に、全て理解しようと読み進めて、そこに笑いは起こるのであろうか。

 

「ラッスンゴレライ」が何なのか真面目に考え込んでしまう人が8.6秒バズーカーのネタで笑うことは難しいだろう。

 

「意味がない」ことを「意味がない」ままに受け入れることができる人間は、

あるいは子供でさえ、

精神意識の奥底で、対象物は「意味がない」ということを理解しているのではないか。

 

 

「面白い」という感情は、「美しい」とかいう感情と比較して、相対的に主観的な感情であるように思える。

 

それだけに、一般化するのが難しい。

 

例外を踏まえながら、ある程度一般化できればいいのだが。