雑記かけうどん

あしからず

【覚書】「面白い」という感情

最近の脳内を、大雑把に整理する。

文章を練っていないので、読みにくい部分がほとんどだと思います。

 

あらゆる「面白い」という感情は、対象物への共感(対象物への理解)なしに得ることはできないのではないか。

 

「意味がある」ものに対する理解を前提とした「面白さ」は、その対象物を理解している一定のコミュニティ(範囲)にのみ作用する。

 

「意味がある」ものに面白さを見出すのは、ある意味必然ともいえる。

 

しかし、実際には「意味がない」ものに対する「笑い」は多く存在する。

そこでは、「意味がない」ことを認知する過程が必要となる(のではないか)。

 

不条理ギャクマンガの笑いは、そこに「意味がない」ことを知っていなければ起こり得ないのではないか。

漫才師、お笑い芸人の謎のセリフ、謎の文言はそれと同じことがいえるのではないか。

 

例えば、ボボボーボ・ボーボボの漫画を、大真面目に、全て理解しようと読み進めて、そこに笑いは起こるのであろうか。

 

「ラッスンゴレライ」が何なのか真面目に考え込んでしまう人が8.6秒バズーカーのネタで笑うことは難しいだろう。

 

「意味がない」ことを「意味がない」ままに受け入れることができる人間は、

あるいは子供でさえ、

精神意識の奥底で、対象物は「意味がない」ということを理解しているのではないか。

 

 

「面白い」という感情は、「美しい」とかいう感情と比較して、相対的に主観的な感情であるように思える。

 

それだけに、一般化するのが難しい。

 

例外を踏まえながら、ある程度一般化できればいいのだが。

大迫選手からみるインターネット帰属意識

こんにちは。

 

文章長めです。部屋を明るくして離れて見てください。

 

最近世間はW杯一色で大盛り上がりを見せていますよね?W杯で世間が大盛り上がりを見せていない世界線の人はブラウザの戻るボタンを押して構いません。

 

私はサッカーに全く興味がありません。本当に興味がなく、サッカーの試合を1試合テレビで観れたことはありませんし、観ようとも思いません。「観たら楽しいよ!」と言われようと、別に観たくないのだから観ません。

 

今回はサッカーの話ではなく、W杯で盛り上がっている世間が存在することによって生じる二次被害について話がしたいので、文章を書いています。

 

二次被害と言いましたが、特に害を被っている訳ではなく私の語彙でそれに当てはまるものが見つからなかったため、二次被害と言わざるを得ず、このような表現になっていることを了承ください。

 

 

 

最近、Twitterで下記のようなツイートを目にします。

 

〇〇半端ないって。あいつ半端ないって。

〇〇してるもん。そんなんできひんやん、普通。

 

突如としてTwitterに現れた謎の構文。しかも、気づけばRTでまわってくるわフォロワーの方がツイートするわでタイムラインを埋め尽くすまでになってきています。

 

SNSにしか自分の居場所を見出すことが出来ない私は、これは一体なんの騒ぎなのだと慌てふためきました。ので、とりあえず、私が「調べ物」という分野においては全幅の信頼を置いているAI、Siriに相談してみました。

 

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Siriによるとそれはできないそうなので、仕方なく諦めて自分で調べることにしました。Siriに対する私の信頼が崩れ去った瞬間でした。

そして、おそらく一連のツイートは以下のことを元ネタとするものであるということが判明いたしました。

 

‪大迫半端ないって - ニコ百

http://dic.nicovideo.jp/id/952441

 

なるほど、おそらく大迫さんというサッカー選手の方がW杯で活躍していてその繋がりでこの構文が流行っている(?)ということがなんとなく掴めました。

 

しかしながら私は大迫選手を存じ上げていませんし、冒頭で言ったようにサッカーに対して全く興味が無いため、大迫選手を知りたいとも思えません。

 

それでもTwitterには謎の構文が流れ、私にはTwitterしか居場所がありません。自分が居場所だと思っていた場所が、いつのまにか自分の知らない場所になってしまっている。

まるで数年離れた故郷に帰ってきたかのような疎外感。

しばらくポケモンをやっていなかったらいつのまにかメガシンカという謎の新要素が追加されていた時のような衝撃。

そういったものに襲われながらも、私はTwitterで生きなければならない。

 

ここで注意しておきたいのは、この疎外感の理由は自分が全くサッカーに興味がなく大迫選手のことを知らないからという至極単純なものであることは、自分でもわかっているということです。

 

もし自分がそういったことに深い知識を持っていたのであれば、今回の「〇〇半端ないって」構文も十二分に楽しむことが出来ていたでしょう。

 

そもそも、なぜTwitterにおいて『構文』と呼ばれるものが流行るのか。

これはもはや日本文化のひとつともいえる「お約束」という概念にその片鱗を見出すことができます。

「様式美」といってもいいかもしれません。

 

『構文』は、その構文を把握している人にとっては非常に愉快なものであるといえます。それは、単純な語感(もしくは語意)の面白さと、「その構文を理解しているコミュニティ」への帰属意識によって引き出されるものです(諸説あり)。

 

『構文』の理解にはこの二つの要素が不可欠なのではないでしょうか。

あなたがもし一昔前、「ぽきたw魔剤ンゴ!?」とか言っていたり、前前前世(RADWIMPS)」の歌詞改変を垂れ流していたりしたのであれば、この考えに一定の理解を示すことが出来るはずです。

また、アカウント名が「〇〇」であったり「〇〇」であったりするTwitter文化も、似たようなことが言えるでしょう(ただし、このような事例に関しては前述のことに先立って特定のコンテンツへの愛が存在するということは考慮しなければならない)。

 

ここまで述べたように、Twitter文化(ひいてはインターネット、SNSの文化)の理解には、「お約束」文化の理解と帰属意識という要素の把握が欠かせないものなのです。

 

今回私が「大迫半端ないって構文」に対して疎外感を持つに至ったのは、私自身が、「大迫半端ないって構文」の「お約束」要素やその背景への理解が足りていないからでしょう。

そんな私が「大迫半端ないって構文」に溢れかえるTwitterに疎外感を覚えるのは、もはや仕方のないことだといえます。

 

しかし、SNSによって得られる「疎外感」もまた、SNSの醍醐味なのかもしれません。

あらゆる感情とうまく付き合いながら、SNSを使っていきたいものです。

 

それでは。

地下鉄

 JR筑肥線福岡空港方面に乗り進んで往く。

 
 すると姪浜駅を過ぎたところで、姪浜ドライビングスクールを横目に「JR筑肥線」は「福岡市営地下鉄空港線」に変化する。

 私はこの変化の瞬間が苦手だ。列車は轟轟とした音を鳴らしながら暗闇に吸い込まれ、やがて地下の灯りに照らされる。私にはこの瞬間によってなにか日常から非日常に、言い換えれば異世界にさらされるような気分になる。
 
 乗り物によって異世界に引き込まれるという発想は、おそらく人間社会に根強いものである。一例としてタイムマシンがある。タイムマシンという発明品の発想は世紀が21世紀に変わる前から存在するものであり、例えば漫画「ドラえもん」では板のような床に機器が付いた乗り物をタイムマシンとして登場させている。(ところで、あのタイムマシンは何故あれほど不安定な設計なのだろうか?あの枠も何も無い三畳ほどの床から落ちただけで時空の淵を彷徨うというリスクをそのままにタイムマシンとして使用するというのは、あまりに危険ではなかろうか。ただ、それがそのような形態であるという事実は数々の物語を生み出してきたし、漫画の中の話だろうと言われると反論の余地も無い。)
 
 また、川端康成の「雪国」におけるこれもまたあまりに有名な一節、『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』。こちらも乗り物が異世界(とも呼ばれうる場所)へと引き込む一例といっていいかもしれない。
 
 閑話休題。そもそもは地下鉄の話である。
 
 だがしかし、地下鉄に非日常性を覚えるからどうという訳でもなく、ただただそういう気分になるというだけの話である。もしかすると暗闇がどうとか轟轟とした音がどうとか、ということではなく、JR筑肥線沿線に住んでいたからこそ、そこに日常性を見出しただけなのかもしれない。この春から市営地下鉄沿線に居を構える(と言っても下宿するだけなのだが)身として、次は地下鉄に対してどんなイメージを自分は持つことになるのだろうか。そういった意味でも新生活への期待は高まるばかりである。
 
まとまりのない文章である。

ミスタードーナツ福岡中洲ショップ

中洲のミスドにて。

私が入店した時には喫煙スペースにはサラリーマンらしき男性が二人組と1人…
禁煙スペースには老旦那が1人、そして忙しそうに何か仕事の連絡をしているのだろうか、30代程度の女性が1人。彼女は番号札を持って何かドリンクを待ちわびていたため、ついさっき入店したのだろう。

と、十分後くらいで、どこに行っていたのだろうか、若い女性の店員が店に帰ってきた。

次に大柄な坊主頭の男性(正直おじさん)が二人組で店に入ってきた。「フレンチクルーラーでいいかな?」「いやぁ…どうでしょう」「まぁフレンチクルーラーで。フレンチクルーラー1つ」「俺はオールドファッションで」というような会話。ずんのやす似と山田ルイ五十三世似の二人。ちなみにずんのやす似がフレンチクルーラー

ここで老人が退出。

続けてロードバイクで颯爽と現れた男性が1人。チョコレートのドーナツを1つたいらげ、なにやらスマホのゲームをしているようだ。

ここでふと窓に目をやるとこれでもかとパーマをかけた4,50代くらいの男性がスタバのドリンクを持ちながら陽気に中洲の街を歩いていた。

前頭部のわびしい眼鏡の男性が1人入店。ホットコーヒーとクリームブリュレドーナツを頼んでいる。

ロードバイクの男性が退出。颯爽と去っていった。

ニット生地のセーターを着た40代くらいの男性が入店。五目チャーハンを注文。

そういえばお昼時といえばお昼時ながら、ご飯モノを食べている客が少ない(喫煙スペースの状況はわかり得ないが)。来た客来た客ドーナツかドリンクを頼んでいる。ミスタードーナツに来る客はカフェとしてのミスドを要求しがちなのかもしれない。

男性が1人、女性が1人ほぼ同時に入店。はじめは夫婦か?とも思ったがどうやら違うよう。男性はチョコレートのポンデリング、コーラを注文。私のすぐ左の席に座った。女性はきなこのドーナツとホットのドリンクを注文、私の左の左の席に座った。

そういえば私の席を明示していなかったが、店の端、中洲の交差点に最も近い窓際の席にちょうどレジと対面する形で座っている。

新たに入店したのは茶髪の女性。私の高校時代の部活の先輩に似ている。何を頼んだかはよくわからないが、フォークを使って食べにくそうにしている。

左の男性にエビのヌードルが運ばれて来た(なんぞこれ?)。美味しそうではある。

待ち合わせの時間になったため私が退出。下膳時に気がついたのだが喫煙スペースの死角にもう一人男性がいた。しかし喫煙スペースにはサラリーマンの男性しかいない。

本当は本を読むために入店したのだがまあこのような観察も楽しいものである。

まぁ…私の他にもあの店にこのような観察をしていた人がいたかもしれないと思うと、それもまた奇妙というか気色の悪い…ものかもしれない。

それでは。