雑記かけうどん

全くもって何かを主張したいわけではない

「箱」とは何か

箱に閉じ込められている。

 

 

この箱の中に存在する人びとはみな、ここから脱出する事を目的にしている。
いや、「目的のためにここを脱出しようとしている」といったほうが、まだ事実に近いのかもしれない。


閉じ込められている状況の中で、誰一人として動揺している者はいない。誰もが、当然ここから出ることができると思っている。それどころか、ほとんどの人間は、全く知らない他人同士が集まったこの状況の中で、リラックスすらしているようだ。

 

この箱の中でおそらく最もリラックスしていないのは、私の視界の端に見える、幼い男の子を連れた女性である。この箱は時折ひどく揺れるのだが、そのたびにその子供が泣き出すので、女性はあやすのに大変そうである。

 

そう、この箱は時折大きく揺れる。定期的に訪れるその揺れに、私は毎回驚いてしまうのだが、周りの人間の多くは気にも留めない。私の隣の女性など、PCを広げて何か作業をしている。大きな揺れも問題なのだが、それ以上に、制限時間のあるこの箱の中で、よくそんなことができるものだ。

 

制限時間がある。その制限時間は人によって様々だ。先に箱に入ったものが先に脱出するとは限らない。

 


私の目の前の若者はずっとスマホをいじっている。この男は、私がここに来る前からこの場所にいた。髪が長く、少ししか見えないが、どうやらBluetoothのイヤホンをしているらしい。

 

私がそのイヤホンに気づいた理由は、その若者の横で立っている男の行動に、その若者が気づいていないからである。背広を着て眼鏡をかけた、50歳前後であろう大柄なその男は、手持無沙汰なのかその若者のスマホの画面をちらちらとみている。その度に眼鏡がずれるのだが、位置を直すときにカチャカチャと音が鳴るのだ。

 

この箱は、かなり無機質だ。


一つの箱の中に何人もの人間が詰められているのに、ここは共空間になっていない。一人ひとりが固有の空間を持っていて、それを妨害されることを望んでいない。望んで妨害しようという者も殆どいない。それでいて、それぞれがほかの人間に対して、規律正しくあることを要求している。無言の中で。

 


箱の中の人びとに分け隔てなく与えられるものといえば、定期的にスピーカーから流れる、感情の無い声のアナウンスくらいなものだ。が、多くの人間はそのアナウンスに興味がないようである。というより、敢えて傾聴しなくとも、何を言っているかはわかっているのだろう。

 

私はすることもないので、箱の様子を見渡しながらアナウンスを聴いていた。おもむろに、目の前の若者が立ち上がり、箱から出ていった。視界の端にいた親子も、手をつないで出ていった。この箱から出ていくことは、実質的には非常に簡単なことだ。重要なのは、この箱からどの時点で出ていくか、ということである。

 

新たな人間たちが入ってきた。私より後にこの場所に入ってきた彼らが出ていくのは、私より後だろうか、先だろうか。

 


と、考えていたものの、すぐにそれを考えるのは無為なことだと気づいた。なぜなら、次は私が出ていく番だからである。

 


「降り口は右側です」というアナウンスを確認し、私はこれから開くであろう扉の前に立った。