そう、思いのままに。
この漫画がおもしろい2021 8つ マジで読んでください。おすすめです。
日本には、おもしろい漫画がたくさんあるので(クールジャパン)、自分が知っているおもしろい漫画を言います。
全部2021年に読んだ漫画です。
◆ブランクスペース(熊倉献)
想像力についての物語。
想像力によるある能力を持った少女ともうひとりの少女のはなし。
このサイトで読めるので必ず読んでください。
◆スキップとローファー(高松美咲)
現状、この漫画より「良い」漫画って無いらしいです。と言われても信じることができます。
なにかの漫画ランキングにもランクインしてたらしいので、客観的にもおもしろさが保証されています。
このサイトで第1話が読めるので必ず読むようにしたほうがいいです。
わざわざ挙げなくていいかなと思えるが、挙げます。おもしろいので。全22巻完結済みなので買って一気に読んでください。
ストーリーもいいのですが、全話が単話としておもしろいと思う。キャラクターがそれぞれ確固とした個性を持った漫画は面白い。
全人類読んだことあると思いますが、このサイトで第1話が読めるので再度読んでください。
神の漫画です。マジで好き。全7巻。
ラブコメと言って差し支えない気はするが、結局何の漫画なんだ?と思える。まあ何の漫画なのかは最終回近くで説明があるのだが。。。
ネタバレされても面白いと思う。
なにかにランクインしていたので読んだことあるかもしれませんが、必ずもう一回読むようにしてください。
◆かくかくしかじか(東村アキコ)
Twitterでおすすめされ、読んでみたらめちゃくちゃ面白かった。
作者がかくかくしかじかで漫画家になった、この「かくかくしかじか」の部分についての自伝的漫画。
こういう漫画ってどうして面白いのか分析しにくいなと思う。
この漫画の1話は探せなかったのですが、全5巻なので必ず購入して読んでください。
◆教室の片隅で青春がはじまる(谷口奈津子)
Twitterで村田雄介先生がおすすめしていたのを見て、タイトルと絵がよかったので購入した。
なんとも言い表しにくいのでひとまず読んでみてください。おもしろいのは間違いないです。
作者さんのTwitterから何話か読めますが、読まずに購入してもいいと思います。おもしろいので。
『有名になりたい女の子』
— 谷口 菜津子 (@nco0707) 2021年6月11日
1 pic.twitter.com/8OvMgFSYpH
◆凪のお暇(コナリミサト)
おもしれー漫画。
ドラマ化もしていたとのこと。観ていませんが。。。
ドラマとはたぶんストーリーが違うと思う。なぜならまだ続いているので。現状8巻までしか出ていないので、買って読むとかなりいいと思います。
かなり、人間についての漫画だと思う。
ここで結構読めるみたいなので、労働者は必ず読んでください。
◆水は海に向かって流れる(田島列島)
ふたりのこどもが大人になっていく物語だと思っている。
途中までも面白いけど、最後が特に 良い ので最後まで読んでください。全3巻。
ここで第1話が読めますが、それはそうとしてかならず全巻購入して読んでください。
以上。
こうまとめると漫画の趣味がまるわかりな感じがしてとてもいいですね。
読め!
「ありがとうございませ」の話
職場からの帰り道に、ローソンが2つ、ファミマが1つ、セブンイレブンが3つある。
いつもはセブンかローソンに寄って帰るのだが、その日はたまたまなんとなくファミマに寄って帰ることにした。
買いたいものを手にとってレジに向かおうとしたところで、こんな声が聞こえた。
「ありがとうございませ~」
日本人である方(また、日本語を母語としている方)であればわかる通り、「ありがとうございませ」という日本語は日常的には使わない。
日常的に、どころか、人生で使うことがあるかどうかも微妙なところだろう。
というか、日本語としてあまり正しくないのではないか?とすら思える。
おそらく店員から発せられたのであろうその言葉に
「ん?」
とは思ったが、特に気にすることなくレジに商品を持っていく。
店員「○○円になります」
そして金を払う。
店を出ようと右を向く。
「ありがとうございませ~」
ここで注意しておきたいが、この言葉を発しているのは若い男性店員である。
メガネをかけており、痩せ型である。
外に出て、自転車の鍵を外していると、ファミマのドアが開き、中から会計を済ませた客がでてきた。
それと同時に聞こえてきたのは、レジに立っている若い男性店員の
「ありがとうございませ~」
であった。
さて、彼はなぜ「ありがとうございませ~」と言っていたのだろうか。
一般に、コンビニ店員は客が会計を済ませた後には「ありがとうございました」と言うことが多い。
一つの仮説としては、「ありがとうございました、またお越しくださいませ」をめちゃくちゃ早口で言っているということである。
その店員がアホみたいに早口であり、そのせいで「ありがとうござ(いました、またお越しくださ(クソ早口)(オタク))いませ」と聞こえているだけかもしれない。
しかし、いくらその店員が痩せた眼鏡の若い男性であるとはいえ、それだけでオタクであると決めつけるのは早計である。
実際、レジで会計時の会話を交わす際にはまったく早口ではなかった。
したがって、彼は早口で言ったわけではない(≒オタクではない)のだ。
つまり、次の仮説がおそらく正しいということになるだろう。
その仮説とは、マジで「ありがとうございませ」と言っている、ということだ。
「~してくださいませ」とは、「~してください(ますように)」という意味である。
(例:「またお越しくださいませ」=「またお越しください(ますように)」)
「ませ」をつけることで、「~してください」を丁寧にしているということだ。
つまり、「ありがとうございませ」とは、「ありがとうございますように」。
要するに、「感謝してください(ますように)」ということである。
多くのコンビニ店員は、客が去る際に「(このお店で買い物をしてくれて)ありがとうございます(感謝します)」と言う。
しかし、この店員は「(この店で買わせてあげたので)ありがとうございませ(感謝してください)」と言っているわけである。
なんと厚顔無恥な店員か!と思う方もいるかもしれない。
これは、彼から私達へのメッセージなのではないだろうか。
お客様は、神様だろうか?
店員は、客に感謝すべきだろうか?
もちろん、商売をしている以上、サービスを提供する側は提供される側に対して一定の礼儀を持って接するべきなのかもしれない。
では、提供される側は?…
彼は、「ありがとうございませ(感謝してくれよな)」の言葉を通してこの社会に対して何らかの警鐘を鳴らしていたに違いないのだ。
これからは、コンビニの店員に対して礼儀を持って接しているかどうか、考えて生きていこうと思った。
敬具。
ある日の日記と無についての話
8時ごろだったが、人が多かったので、みんなちゃんと生きてるんだなと感心した。
わさびいなりとしょうがいなり。
8時に開店していたのでかなり働く意欲のある店と思って間違いないだろう。
この時は気づいてなかったが、西鉄の駅前の空間の天井には鏡があるんだな。
今度注意して見てみよう。
朝だからこそかもしれないが、西鉄の下り電車は混んではいなかった。
電車の中でいなりを食べるのはセーフですか?アウトですか?…
判断がつかなかったので、いなりは降車まで袋の中に入ったままであった。
某駅で降りて、某市で仕事を済ませた。
お昼休憩をとって、つぎの場所へ、と思って歩いていたら
!?
”無”の自販機
適当に置かれているにしてはかなりキレイな状態だったので、たぶん誰かのインテリア。
私物なのに勝手に撮ってすまん。という気持ち。
このときは気づかなかったが、左上やたら濡れててちょっと嫌だな。
もうそのあとはその日はなんもなかった。
無の自販機を見て思い出したことがある。
小学4年~中学生くらいまで、自分はあることに恐怖を覚えながら生きていた。
それは、「今この瞬間の一瞬前まで”無”だったのかもしれない」という考えである。
”今現在”、自分が存在していることはなんとなく理解できる。
しかし、一瞬前まで自分が存在していなかったかもしれないと思ってしまう―――言い換えれば、一瞬前にも自分が存在していたという確証が持てない―――ということだ。
その確証を得るための手がかりとなるのが、
①一瞬前に自分が存在していたという記憶
②今現在自分が存在しており、次の瞬間にも存在しているという事実
であった。
①について。
普段生きている中で、過去を認識するために最も用いるのが記憶ではないかと思う。
一瞬前に自分が存在していたという記憶は、一瞬前に自分が存在していたという過去の経験に基づくものであり、それゆえ記憶によって過去を認識することができる。
しかし、記憶がもし過去の経験に基づくものではないとしたら、記憶によって過去を認識することができなくなる。
つまり、一瞬前に自分が存在していたという確証を記憶によって得るためには、記憶というものは過去の経験に基づくものであるという確証を得なければならない。
だが、記憶というものが過去の経験に基づくものであるという確証も得られない。記憶違い、というものも普段生きている中でいくらでもあるし、デジャヴュというものもある。記憶というものは、自分が信頼するにはあまりに不安定なものであった。
したがって、「①一瞬前に自分が存在していたという記憶」によって、「一瞬前にも自分が存在していたという確証」は得られなかった。
②について。
今現在自分が存在しており、次の瞬間にも存在しているという事実があれば、帰納的に一瞬前にも存在していた可能性が高いと考えることができる。
しかし、「次の瞬間にも存在しているという事実」はあまりにも不確定すぎる。
次の瞬間にも存在しているのではないか?という予想はできるが、実際に次の瞬間になってみないと存在しているかどうかはわからない。
そして、実際に次の瞬間になってしまったあとでは、その一瞬前(元の"現在")には存在していたかどうかわからない。
したがって、「②今現在自分が存在しており、次の瞬間にも存在しているという事実」によっても「一瞬前にも自分が存在していたという確証」は得られなかったのである。
こういった理由から、一瞬前にも自分が存在していたという確証が持てず、不思議な恐怖にとらわれていた時期があった。
その恐怖から逃れたのは、一瞬前に自分が存在してようがしてまいがどっちでもいいわ、となんとなく思ったからである。
自分がその思考を得たきっかけは、おそらく、『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』という映画である。
この映画の中で「コンニャクローン」という、つまるところクローン人間が登場して、実際の人物の代わりとして生活するシーンがあるのだが、
これを見た小学生の私は人間を人間たらしめる要素とはなんなのかわからなくなり、
上のような思考に至り、なんとなく恐怖を感じていたのである。
この文章を見ている方がもし居れば、一瞬前に自分が本当に世界に存在していたのかどうか疑ってみて、微妙な気持ちになってみては……?
それでは
「ウクライナ」の国名の由来について
「ウッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
暗いな………」
(緯度が日本より高く、夜の時間が長いため)
だそうです。
(嘘らしいです)
誰もサカナクションの「モス」をヒルナンデスのテーマだと思っていない話
私は長く、ヒルナンデスのテーマを
と思っていた。
しかし、本当は
だった。
というだけの話なのだが、ちょっと聞いてほしい。
私はヒルナンデスをリアルタイムで視聴したことがない。
ヒルナンデスをわざわざ録画で視聴するような人間は存在しないので、ヒルナンデスをリアルタイムで視聴したことがないということは、つまりヒルナンデスを視聴したことがないということだ。
そんな私でも、ヒルナンデスのテーマソングが「ヒル ヒル ヒルナンデス」というフレーズであることくらいは知っていた。
CMかなにかで聞いたから知っているのだろうが、私の頭の中では、そのフレーズは「ヒル↑ ヒル↑ ヒル↑ナ↑ン↓デ↓ス↑」という音程で認知されていた。
そして、つい最近その音程に一致する音楽を知った。
それが、サカナクションの「モス」という曲の、最初のイントロの3秒間である。
驚いたことに、iTunesへのリンクとして「モス」の最初の数秒をここに貼ることができた。
ので、お聴きください。
これが、私の頭の中の「ヒルナンデス」テーマソングとほぼ100%一致した。
初めにこのイントロを聴いた瞬間、「新しいヒルナンデスのテーマソングかな?」と純粋に思ったほどだった。
私がはじめて「モス」を聴いたのは6月24日。
「モス」の入ったアルバム『834.194』が発売されたのは6月19日だったので、ツイッターは「モス」のイントロがヒルナンデスのテーマに似ていることで持ち切りだろうと思い、検索してみると
??????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
ほんまに?
だれも同じこと思ってないの?
孤独を感じた私は急いでYoutubeでヒルナンデスのテーマソングを検索した。
この音楽を聴いた私は、
な~んだ、「ヒル↑ ヒル↑ ヒル↑ナ↑ン↓デ↓ス↑」じゃなくて「ヒル↑ ヒル↑ ヒル↑ナ↓ン↑デ↓ス↑」だったのか!!!
なるほどね~
となった。
おしまい。