ブログというか雑記

140字に入らないことを書きます。このブログはおおむねフィクションです。実際の人物、団体、その他もろもろのものとはそこはかとなく関係がありません。

沖縄で沖縄そばを食べた話

9/9〜9/12の4日間を沖縄で過ごした。


沖縄に行くのは初めてのことで、飛行機への不安と未知の地への期待を膨らませながら福岡空港から飛び立った。那覇空港に降りたつと旅の幸運を感じさせるような澄み渡る青空に迎えられた。はいさい。空港のレストランは値段が高いわりに量も少ないということで少し離れた沖縄料理店を目指してモノレール「ゆいレール那覇空港駅に向かった。空港から出た瞬間に口から漏れ出た言葉は「さすが沖縄」。それでも真っ盛りというわけではないのかもしれないが、少し涼しさが感じられ始めている福岡と比べると、とにかく暑かった。県庁前のデパート「パレットくもじ」地下にある沖縄料理店「ふる里」で沖縄そばセット(¥975)を注文した。沖縄そばに沖縄の料理であるジューシー、ジーマミー豆腐ミミガー、もずく酢のついたかなりお得なセットだった。早速沖縄料理に舌鼓をうち、幸先のいい沖縄の旅のスタートとなった。


とはいえ旅の主な目的は、在団する九大混声合唱団の九州合唱コンクールへの出場であった。9/10に行われる本大会は、11月に東京で行われる全日本合唱コンクールへの出場権を獲得するためのものであったので、要するにとてつもなく重要な大会だったのである。結果から言うと、金賞一位で無事全国への切符を獲得した。その夜は国際通りの「海援隊」グループの某店舗でオリオンビール泡盛を思いっきり楽しんだ。泡盛に心を奪われまんまと近くの土産屋で泡盛を一本購入し、ホテルへとタクシーで帰った。
沖縄での滞在については、沖縄のタクシーについて触れなければ語り尽くせないだろう。初乗り550円で、高くとも1000円強用意すればある程度のところならば行けてしまう。特に今回は合唱団で来ており、4〜8人で行動することが多かったため、割り勘で高々300円で移動することができた。


大会の終わった後の9/11,12は首里城をはじめ様々な観光地を巡った。綺麗な海を楽しむスポットから戦争に関わりのある地まで、観光タクシーや観光バスで廻っていた。そして今、福岡への飛行機の中でこの文章を打っている。電波使えなくて暇なので。こうして3泊4日の沖縄という非日常の旅は終わりを告げた。


沖縄での非日常を感じている間に私はとあることを痛感した。それは、私が沖縄での非日常を感じている間にも沖縄の人は沖縄においてそれぞれの日常を過ごしているのである、という至極当たり前の事実である。私が沖縄料理に感激し、泡盛に出会っている間にも、沖縄の女子高生はいつも通り通学し、国際通りの客引きはいつも通り大声をあげ、那覇のタクシー運転手は観光客を載せている。私が様々な感動を得た「沖縄」は、誰かにとっての生活空間であり、私が非日常を過ごした「沖縄」は、誰かにとっての日常なのである。


だからどう、ということはないが、そのことが私にはとても新鮮に思えたのである。博多ラーメンを日常の一部として食している福岡の一般的大学生としての私が存在すると同時に、博多ラーメンを特別な非日常の一部として食している観光客が存在する。ソーキそばを日常の一部として食している沖縄の人々が存在すると同時に、ソーキそばを特別な非日常の一部として食している観光客としての私が存在する。同じ空間、同じものを感覚しているにもかかわらず、それぞれの感覚は異なっている。不思議だなぁというか、おもろいなぁと思う。おもろいといえば、おそらく日本の中でおもろい駅名堂々の一位であろう沖縄県那覇市おもろまち駅」に行けなかったことは悔やまれる。


私が日常として感覚しているものも、たまには角度を変えて感覚してみるとおもしろいのかもしれない。そのことを非常に感じた沖縄での非日常であった。


あと、言い方には気をつけなければならないが、沖縄という場所では「戦争」がある一定の産業になっているのだと知った。戦争跡地や資料館はその維持のためか入場料をとり、まわりにはそこに観光に来た人を客として様々な店が軒を連ねる。それを口実に商売をしている、というと聞こえが悪いが、そういう面もある、ということである。
しかし、資料館に入り先の戦争の凄惨さを見せつけられると、「戦争」というものが、なんとなく軽い「観光」の中に含まれているというのは、より大勢が戦争を理解し平和を祈念するためには重要であるのかもしれないとも思う。


そんなことをつらつらと書いていると、飛行機が降下体制に入った。数分後には福岡、すなわち私にとっての日常に戻っていくのだろう。思えば、普段そうそう乗らない飛行機を使用したことで、非日常と日常の境が明白になっていたのかもしれない。


さようなら、沖縄。にふぇーでーびる。

この星のうえで

チャリティーコンサートin福岡

4/22の土曜、福岡市立博多市民センターにて「東北・熊本震災チャリティーコンサートin福岡 2017」が行われます。

https://sites.google.com/site/charitytohokufukuoka/2017/abstract

このコンサートの第三ステージで歌われる「この星のうえで」(詩・谷川俊太郎 曲・松下耕)の、多くは詩についていくつか思うところがあったので、久しぶりに長文を書こうとブログを開きました。

曲集「この星のうえで」を知らない人は全く面白くないと思うので、そんな感じです。

また、この文に書いてあることはすべて僕の主観によるものなので、そんな感じです。

 

はる

一曲目「はる」。

曲集の中で最も短い曲。

はなをこえて しろいくもが

くもをこえて ふかいそらが

はなをこえ くもをこえ

そらをこえ 

わたしはいつまでものぼってゆける

ただただ美しい言葉ですが、注意したいのはこの「のぼってゆける」という表現。僕がこの詩を初めて読んだ時イメージしたのは、Nintendo64の「スーパーマリオ64」でマリオがピーチ城の天井の雲の絵を見た時に発生する、空を飛ぶボーナスステージのイベントでした。マリオがピーチ城の天井を見ると、画面が白い光に包まれ、イベントが発生します。

全く関係ない話をしましたが、ようするに「のぼってゆける」という表現はそのまま「のぼる」という行為のみでなく、「空を仰ぎ見て、空にのぼってゆけるような印象を受ける」という状態を指すとも受け取れるのではないか、ということです。そして

はるのひととき

わたしはかみさまと

しずかなはなしをした

「かみさまとしずかなはなしをした」という表現。これは、普段僕達が日常でするような「はなし」とは異なる「はなし」なのでは、と考えています。

「はるのひととき」に詩の第1連・第2連のような体験をした「主体(もしくは筆者)」が、その美しい花・雲・空を仰ぎみて、その「はる」の光景を「かみさま」とわかりあう。これが、この詩の全貌だと僕は捉えています。ここで言う「かみさま」とは、白い髭面のおじいさんではなく、また緑色の顔をした異星人でもでもなく、なにかこの地球そのものを包む光のような、エネルギーのようなものだと僕は勝手に捉えています。そして、この「わかりあう」という営みが「しずかなはなし」と喩えられているのでは、ということです。(「わかりあう」というのもきっちり当てはまる表現と言えないのですが、僕のボキャブラリーの中で一番意味が近い言葉なので使用しました。)

 

地球の客

二曲目、「地球の客」。

地球の客はわりと言葉がストレートな詩です。

地球という星に降り立ち我が物顔で跋扈するわたしたち人間の傲慢さや愚かさを描き、そしてどこか哀しみを帯びたこの詩は、「私たちの死後の朝」に向かって流れてゆきます。

 

おべんとうの歌

三曲目、「おべんとうの歌」。

曲集で最も長い曲。

魔法壜のお茶が

ちっともさめてないことに

何度でも感激するのだ

というフレーズで始まるこの詩(曲)は、楽しげなピアノとともに陽気なメロディが続きます。おべんとうを食べるという行為、その時間には小さな幸せがいくつも生まれます。魔法壜のお茶、梅ぼしおむすび、ゆで卵、キャラメルなど、そういった小さなものに幸せを感じると、空の青さに夢中になったり、小鳥のさえずりに声を潜めて耳をすまします。

そしてびっくりする

自分がどんなに小さなものに

幸せを感じているかを知って

そして少し腹を立てる

あんまり簡単に

幸せになった自分に

平和な時間が流れる中でおべんとうを食べるという行為には、いくつもの小さな幸せが含まれます。そしてあんまり簡単に幸せになった自分に「腹を立てる」ことになります。なぜなら、

ーあそこでは

そうあの廃坑になった町では

おべんとうのある子は

おべんとうを食べていた

そして

おべんとうのない子は

風の強い校庭で

黙ってぶらんこにのっていた

そういった内容の(何らかの雑誌か新聞の?)記事の写真を、詩の主体(もしくは筆者)ははっきりと記憶していたからでした。「どうすることもできぬくやしさが泉のように湧きあがる」という主体が、次に示す下の部分こそ、この詩の大きな主題だと僕は考えています。

どうやってわかちあうのか

幸せを

どうやってわかちあうのか

不幸を

前述のとおり、「廃坑になった町」では、

おべんとうのある子は
おべんとうを食べていた
そして
おべんとうのない子は
風の強い校庭で
黙ってぶらんこにのっていた

ここでは、「おべんとう」という小さな幸せが詰まったものは分かち合われず、幸せを持っているものは幸せを得、不幸を手にするものはそのままです。幸せを分かち合うことができない「どうすることもできないくやしさ」。だからこそ、「おべんとうの歌」なのだと思います。

そして

手の中の一個のおむすびは

地球のように

重い

 

ほほえみ

三曲目「ほほえみ」。

ほほえむことができる「ひと」と、ほほえむことができぬ青空・木・犬。前半の段では、ほほえむことができぬから青空は雲をうかべ、木は風にそよぎ、犬は尾をふり、感情の機微を表現します。そして後半の段ではほほえむことができる「ひと」が語られます。

ーだが人は

ほほえむことができるのに

時としてほほえみをわすれ

「ほほえみ」という表現手段を自在に操る「ひと」は、ほほえむことで必ずしも楽しい、嬉しい、といった感情を表現しません。

ほほえむことができるから

ほほえみで人をあざむく

「ほほえみ」の意味を考えさせられるような詩。

 

今年

五曲目、最後の曲は「今年」です。

涙があるだろう

今年も

涙ながらの歌があるだろう

上の言葉から始まるこの詩(曲)の中で、僕は一つだけ腑に落ちない箇所があります。それは、

短い旅に出るだろう

そして帰ってくるだろう 

農夫は野に

数学者は書斎に

普通に詩を読むと「農夫は野に」「数学者は書斎に」が「帰ってくるだろう」にかかることがすぐわかるのですが、曲の中では「帰ってくるだろう」と「農夫は野に」の間に明らかな空白(伴奏)があり、さらにこの部分から転調が始まることで言葉同士が隔離されているように聴こえる(もしくはそう歌ってしまう)ことです。この部分に関して何か一家言ある方は教えていただきたいのですが。

少しとんで

くだらぬことに喜ぶだろう

今年も

ささやかな幸せがあり

それは大きな不幸を

忘れさせることはできぬだろう

けれど娘は背が伸びるだろう

そして樹も

すこし上述の「おべんとうの歌」を思い出してしまうような詩ですが、こんな感じに、ひたすらに幸せ、ではなく、幸せはあるが、たしかに不幸もある、というような世界観が谷川俊太郎さんの世界観なのかもしれません。

地平は遠く果てないだろう

宇宙へと大きなロケットはのぼり

子等はかけてゆくだろう

単純に、この部分がこの「今年」という曲が曲集「この星のうえで」の終曲となっている理由ではないかなぁと思います。

「地平」「宇宙」は距離的な奥行、「子等」は「未来」を暗示して時間的な奥行をここに映し出します。

そして

今年も歓びがあるだろう

生きてゆくかぎり

いなむことのできぬ希望が

ここが「今年」 の締めであり曲集「この星のうえで」の締めとなります。「いなむことのできぬ希望」、否定することのできない希望が、わたしたちにはあるのです。今年も。この星のうえで。

 

この星のうえで

 「この星のうえで」というこの曲集、「この星」は、つまるところ「地球」のことです。この曲集に込められたものとして、「この星のうえで『生きるわたしたち人間』」という意味合いがとても強いように思えます。

そういった意味で、地震という自然(地球)の大いなる営みに対してそれでも強く生きる人々を支援するこの「東北・熊本震災チャリティーコンサートin福岡 2017」で歌うことに、僕は心を動かさずにはいられません。

4/22、博多市民センターで、お待ちしております。

https://sites.google.com/site/charitytohokufukuoka/2017/abstract

6/3九大フィル定演にて

九大フィルハーモニー・オーケストラさんの演奏会に行きました。

正直オーケストラにもクラシック音楽にもそんなに興味はないけれど、とりあえず同じ大学の音楽サークル(部活?)だし知り合いも結構いるのでまぁ聴きに行くかという感じで行きました。目標は演奏中に眠らないことでした。

いよいよ開演という感じでドヴォルザーク/序曲「謝肉祭」が始まりまして、よくわかんなかったけれどなんかすごくてもう カッケエ は?なにこれ ヤバい みたいな感じでもうあっという間に曲が終わって拍手。もう意味がわかりませんでした。

そこからもうあっと言う間の2時間でブラームス交響曲第二番ニ長調のクライマックス(と言っていいのか?)まで一気にもう「うおー!」「なんなんだー!」って感じのテンションでした。いや、カッコよすぎました。

ということで簡単に言うとめちゃくちゃ感動したんですけど、なんかこう、、、アクロスシンフォニーホールのすべてが楽器と化したような演奏で、なんか空間を奏でてる?みたいな?よくわかりませんけどそんな感じの感覚に襲われました。

曲を生き物としているような、、、そんでもって(正直素人中の素人なのでどの楽器がどの音を出していたかもよくわからないんですが、)各楽器のそれぞれが細胞みたいな感じでそれぞれの役割を全うしながら生き物としての曲の全身が感情を持って動くような、そんな演奏でした。

 

あ~~~~~すごかったです。

フィルの方々は本当にありがとうございました、そしてお疲れ様でした。冬の定演も必ず行く、そんな気分になるような素敵な演奏会でした。

 

追記というか感想付け足し

特にバイオリンを見てて思ったのですけれど、同じ楽器の奏者って同じ動きをするんですね。あのあたりのバイオリンが全く同じように動く一体感は音楽に確かな影響をもたらしているというか、耳じゃなくても、目でも音楽は感じられるのだな、と思いました。

イキスギィ!

 

①よくよくなにか一つのきっかけで「価値観が変わった」とか「人生が変わった」とか言う人が居るけれどそんな簡単にコロっと変わるような価値観しか持っていなかったのだろうかそんな人生しか歩んでなかったのだろうか。

 
とか
 
②なにか一つのきっかけで人生や価値観が変わるようなことは往々にしてあることだし、だからこそなにかきっかけを得るために奔走するべきだ。
 
とかありますよね。
 
①側の人は②側の人のアクティブさを揶揄したりコスパの悪さを馬鹿にすることもあります。
 
②側の人は①側の人の考え方をひねくれていると評価したりだとか「そちらこそそんなきっかけも無いような人生しか送ってこなかったのか」と侮蔑することもあります。
 
①も②もそれぞれある程度納得のいく考え方だと思います。
 
①はいい意味でも悪い意味でも頑固
②はいい意味でも悪い意味でも柔軟
 
と言えるかもしれません。
 
しかしどちらも行き過ぎは良くないと思うのです。
 
頑固過ぎて全く外部からの刺激を受けないようなものでも良くないし、柔軟過ぎて外部からの刺激をそのまま受容するのも良くないと思います。
 
ここから完全に僕個人の意見なのですが、
 
この「行き過ぎ」というのはつまり「思考停止」なのではないかなぁと思うのです。
 
頑固すぎる人はただ1つの価値観を持ってさえいれば他の考えを排除できる…思考停止。
 
柔軟すぎる人は何も考えなくともただ与えられた価値観にすがっていればいい…思考停止。
 
思考の停止はとても楽です。でも考えることを放棄した人は何も生み出すことはできないし何も人に与えられないと思うのです。
 
それだけの話でした。
 

地下鉄

 JR筑肥線福岡空港方面に乗り進んで往く。

 
 すると姪浜駅を過ぎたところで、姪浜ドライビングスクールを横目に「JR筑肥線」は「福岡市営地下鉄空港線」に変化する。

 私はこの変化の瞬間が苦手だ。列車は轟轟とした音を鳴らしながら暗闇に吸い込まれ、やがて地下の灯りに照らされる。私にはこの瞬間によってなにか日常から非日常に、言い換えれば異世界に曝されるような気分になる。
 
 乗り物によって異世界に引き込まれるという発想は人間社会に根強いものである。一例としてタイムマシンがある。タイムマシンという発明品の発想は世紀が21世紀に変わる前から存在するものであり、例えば漫画「ドラえもん」では板のような床に機器が付いた乗り物をタイムマシンとして登場させている。(ところで、あのタイムマシンは何故あれほど不安定なものなのだろうか?あの枠も何も無い三畳ほどの床から落ちただけで時空の淵を彷徨うというリスクをそのままにタイムマシンとして使用するというのは、あまりに危険ではなかろうか。それが数々の物語を生み出してきたし、所詮漫画の話だろうと言われると反論の余地も無いのだが、タイムマシンとしてあの形態を考えるに至った藤子F不二雄先生の遊び心たるや、である。)
 
 また、高名な(高名な、と形容するのもおこがましいが)小説家である川端康成氏の「雪国」におけるこれまたあまりに有名な一節、『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』。こちらも乗り物が異世界(とも呼ばれうる場所)へと引き込む一例といっていいかもしれない。
 
 閑話休題。そもそもは地下鉄の話である。
 
 だがしかし畢竟、地下鉄に非日常性を覚えるからどうという訳でもなく、ただただそういう気分になるというだけの話である。もしかすると暗闇がどうとか轟轟とした音がどうとか、ということではなく、JR筑肥線沿線に住んでいたからこそ、そこに日常性を見出しただけなのかもしれない。この春から市営地下鉄沿線に居を構える(と言っても下宿するだけなのだが)身として、次は地下鉄に対してどんなイメージを自分は持つことになるのだろうか。そういった意味でも新生活への期待は高まるばかりである。
 
毎回のごとく、まとまりのない文章である。